443 :マンセー名無しさん:2007/09/25(火) 18:36:12 ID:0btrLkSw
>>391-395
某市立中央図書館へ行き、その本の写真を撮ってきました。
白頭山資料集
定価 30,900円(税込)
1993年4月15日
編集者 朝鮮民主主義人民共和国 科学院・人文科学院
発行者 大江可之
企画 SBB
発売 日朝友好センター
東京都千代田区神田和泉町2-16
TEL 03 (5820) 8432
445 :マンセー名無しさん:2007/09/25(火) 18:37:56 ID:0btrLkSw
>>443
北朝鮮当局の作成したコリアンジョークのひとつです。
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白頭山の革命伝説
1)金日成主席と革命伝説
朝鮮人民は抗日革命闘争期に金日成主席を民族の太陽、会報の救いの星、伝説的英雄と称賛し、白頭山と共に数多い伝説を生み出し誇り高く伝えてきた。
抗日革命戦争の一大高揚期に白頭山と共に語りつがれた誇り高いすべての話は、主席がなしとげた輝かしい革命業績と崇高な風貌を歴史的事実に基づいて表現したもので、その内容が豊かである。
白頭山の革命伝説は抗日革命闘争期ばかりでなく、今日も朝鮮人民と世界の革命的人民に主席への尊敬の念を抱かせている誇らしい人民伝説である。
ここに白頭山の革命伝説を紹介する。
「白頭山に将軍星が現れた!」
星は昔から人々の希望と救いのシンボルであった。
祖宗の聖山、白頭山に星が現れた。普通の星ではなく将軍星が現れたが、その将軍星とは民族を救い祖国を解放した金日成将軍を意味するものであった。
446 :マンセー名無しさん:2007/09/25(火) 18:38:56 ID:0btrLkSw
その昔から白頭山に聖人が降り朝鮮国を平定すると言う話が伝えられて来たが、いまや天降大総帥金日成将軍が天の意で聖山に降りて来た」
「白頭山に将軍母子が現れてからいまや2千万同胞の生きる道が開かれた」
朝鮮人民はこのように語りながら将軍を仰ぎ慕い数々の「白頭山の将軍星」伝説を伝えた。
国運を開こうと空の星たちが相談して白頭山に将軍星を送ったがその星が金日成将軍星である。
白頭山には周囲三十里の洞窟があるがその中には将軍星が輝き真昼のように明るい。
その洞窟の中では総帥たちが武器を造り操練をし、馬に乗って走っている。
447 :マンセー名無しさん:2007/09/25(火) 18:39:29 ID:0btrLkSw
その頃、白頭山のふもとの千年を経た古木に花が咲き、智異山の木蓮に鳥が群れをなして飛んできてさえずり、北岳山が香りをただよわせた。あまりに不思議なことに人々が空を見上げたら、北側の空高くに白頭山が見え格別に明るい将軍星が輝いていた。
将軍星は富士山にも現れた。その時将軍星が輝くと、富士山に黒い雲がかかり雷がとどろき稲妻が落ちた。軍閥はこの「不吉な前兆」におどろき山に登ってみた。
丁度その時彼方に朝鮮の白頭山が浮き上がり、朝日が昇る時のようにきらめき輝く光が朝霧を突き抜け全土を照らし、太白山の古木には二度目の花が咲いた。
人々が語り伝えたこの伝説で、白頭山に将軍星が現れたと言ったのは、将軍が白頭連峰で祖国解放の旗幟を高くかかげたことを意味し、将軍星の光が富士山を照らしたと言うのは、近いうちに日本帝国主義が亡びるという予言である。
太白山の古木に再び花が咲いたと言うのは必ずや朝鮮が解放されると固く信じるという意味であった。
448 :マンセー名無しさん:2007/09/25(火) 18:41:09 ID:0btrLkSw
「白頭山将軍星」の話はその後次のような内容で伝えられた。
「金日成将軍は白頭山の精気を授かり、天の星を導く方であるが故に天地調和をすべて心得ている。……将軍が日帝を打つ時は、……敵をすべて谷間に追い込んで捕らえるかと思えば、雲にのって敵陣に入って相打ちをさせ、逃げる敵は道を失ってさまよったあげく固くなってしまう。」
この伝説は、主席を祖国解放の将軍星と仰ぎ、巧みな戦術で日帝侵略者達を手玉に取って勝利した痛快な場面を、素朴にまのあたりのままに反映したものであった。
「白頭山に大総帥が現れた!」
この伝説は金日成主席が朝鮮人民革命軍の主力部隊を引率して白頭山西南部一帯で連日日帝に打撃を与えていた時期に生み出されたものである。
463 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2007/09/25(火) 23:41:31 0btrLkSw
>>443
続きです。北朝鮮当局の作成したコリアンジョークのひとつです。
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「金日成将軍の部隊は数え切れない」
金日成主席が反「民生団」闘争の左傾的偏向を克服したという激動的なうわさを聞いた人々は新しいを得て馬鞍山地区に主席をたずねて来た。
主席に会った人々はその誰もがみな主席の側をを離れたがらず、革命勝利のその日まで主席の傍らで闘うと言った。
主席は彼等の切実な望みを推し測り、彼等を新しい師団に入隊させた。
このような事実が知られて「朝鮮の軍士は数え切れない」と言う話が伝えられるようになった。
これは伝説ではなく事実そのままであった。
464 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2007/09/25(火) 23:42:21 0btrLkSw
朝鮮人民革命軍隊伍が限りなく増加する事実から、次のような伝説も生まれた。
主席は彼等の切実な望みを推し測り、彼等を新しい師団に入隊させた。
このような事実が知られて「朝鮮の軍土は数え切れない」と言う話が伝えられるようになった。
これは伝説ではなく事実そのままであった。
朝鮮人民革命軍隊伍が限りなく増加する事実から、次のような伝説も生まれた。
「金日成将軍が雲にのって空から降りて来たがその時四人の弟子を連れて軍服100万着を持ってきた。将軍は、一緒に連れてきた弟子四人を東西南北に派遣して兵士を集めた。ところが数百万名もの兵士が集まったためにはじめに持ってきた軍服では足りなくなった。足りない軍服は、将軍が一度術法をつかったら白頭山から次から次へとあふれ出てきた」
465 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2007/09/25(火) 23:43:40 0btrLkSw
「将軍の『縮地法』」
この伝説は、金日成主席が朝鮮人民革命軍主力部隊を率いて白頭山の西南部一帯に進出し、絶妙な遊撃戦法をつかって、いたる所で敵を打ちのめした時から伝えられている。
「将軍は縮地法をつかって山と川を縮め、一夜に千万里をひた走って日帝をやっつける。将軍が地面を縮めて一挙にひろげると目の前までせまっていた敵は数千里の外に追い払われてしまう。」
「将軍が『縮地法』をつかうといくら天気の悪い日に歩いても足跡がつかない」
「将軍は縮地法をつかうが東に現われたと思ったら、いつの間にか西に現われ、山を縮め行き来する」
466 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2007/09/25(火) 23:45:09 0btrLkSw
朝鮮人民は主席の智略と用兵術、「一行千里」の戦術をはじめとするすぐれた戦法を称えて将軍は「縮地法」をつかうと言った。
1937年2月長白県鯉明水戦闘の時、将軍は敵の「討伐」企図を見やぶり、一夜に40km以上も行軍して敵よりも早く鯉明水の目的地に到着し、背後戦で敵を瞬時に撃ちたおした。
この戦闘の後、日帝は「共産軍が縮地法をつかうというのは本当だ。縮地法をつかわなくては後にいた共産軍がどうして自分達より先に来られるのか」と悲鳴をあげた。
この痛快な便りを開いた人々は「金日成将軍が締地法をつかって敵を鯉明水の谷間で撃ちのめした」「将軍は縮地法をつかう。東に現われたと思ったらいつの間にか西に現われ、山も縮める」と言いながら喜びをかくしきれなかった。
この時から、将軍の縮地法の話は羽がはえたように長自の山村はもちろん、国内深くまで伝えられた。
467 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2007/09/25(火) 23:47:18 0btrLkSw
「金日成将軍は縮地法をつかう。だからアッと言う間に東へ、西へ行き来して敵を撃ちたおす。彼らははむかいもできない。金日成将軍は山を縮めて行き来するから、一日に朝鮮を何回も行き来する」
「金日成将軍が先頭に立って、何千人の部下を率いて行き来するが一人の足跡しか残さない。将軍は、どのような戦闘でも隊員を一人も失なわない」
「将軍が出撃する時は、『縮地法』をつかうが将軍が先頭に立ち歩きはじめると目の前の山頂が速やかにたたみ込まれ、その山頂に立つといつのまにかその次の山頂がたたみ込まれ……このように幾重にも重なり合っている山頂が、将軍の足の下に屏風のように一幅、一幅折り重なり、将軍は一歩に1里、2里づつ歩く」
「将軍は朝鮮と満州を『一行千里』して、いくら広い野原もまたたく間に飛ぶように通過し、大きな川が現われると紙を一枚浮かべてその上って川をわたる」
468 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2007/09/25(火) 23:48:15 0btrLkSw
「金日成将軍は、白頭山で100人の将帥を育てているが、天地の水を飲みながら力を養い、山頂に飛び昇ったり、飛び降りたりする訓練をさせて試験に合格した者は他の所に連れて行って『縮地法』を教え心身をさらに鍛錬させる。
『縮地法』をつかう将帥達は鎧をつけたように体ががっちりしているから銃弾も通らない」
「縮地法」の伝説は抗日武装闘争期に朝鮮人民の中で一番多く語り伝えられ、人々を激動させた伝説であった。
主席を称える「縮地法」の伝説は国内はもちろん他国にまで多様な内容で広く伝えられた。
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